提訴に至る経緯

飯舘村の原発被害の特徴(初期被ばくとふるさと喪失)

 

 福島県相馬郡飯舘村は、2010年9月に「日本で最も美しい村」連合に加盟した村民約6500名の村で、多くの住民が、専業/兼業で農業、酪農、林業などに携わりながら里山の暮らしを営んでいました。

 しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、これに続く東京電力福島第一原発事故により、村は高濃度の放射能に汚染されました。村の大部分が30キロ圏内から外れていたため、住民らには、汚染状況や被ばくについての正確な情報が与えられず、さらには、低線量の被ばくを安全と喧伝する「専門家」を招いた講演がなされるなど、数々の誤った対応により、早期避難の機会を奪われ、福島県内で最も高い初期被ばくを受けることになりました。

 飯舘村は、2011年4月22日に計画的避難区域に指定され、「帰還困難」・「居住制限」・「避難指示解除準備」の3区域に分けられて全村避難となり、住民らは各地での避難生活を強いられました。自宅や田畑を奪われ、地域コミュニティーは破壊され、それまで培ってきた生活を丸ごと失ったのです。


ADR申立て,そして提訴へ

 2014年11月14日に、村民約3000名が立ち上がり、「原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)」に対して、東京電力を被申立人として、初期被ばく、生活破壊、避難生活による精神的苦痛に対する慰謝料や不動産(田畑など)の賠償額の増額を求めるADR申立てを行いました。

 2017年12月、ADRセンターから初期被ばく慰謝料についての和解案が示されましたが、その内容は、原発事故から約4か月間で概ね10ミリシーベルトの被ばく者という極めて限定した内容で、しかも慰謝料額は、わずか15万円(長泥地区は50万円)という極めて不十分なものでした。しかし、東京電力は、この極めて不十分な和解案すら受諾を拒否し、その後のADRセンターによる受諾勧告にも応じませんでした。その後、ADRは、避難慰謝料の増額について世帯ごとに個別の審査が行われ、776世帯中505世帯について増額を認めさせましたが、生活破壊慰謝料や田畑・山林など不動産に関してADRセンターは和解案を出すことすらせず、2020年5月にADRの全ての手続が終了し、本訴訟提起に至りました。